enlightened.

transgender.jp

4、5日前の夜中(2024年12月28日未明)に目が覚めた。治ったはずの風邪がぶりかえして再び38度5分。さっと湯船に浸かって寝たが発熱にうなされたようだ。いけない、熱に屈するな…と思った矢先、こう思えた。自分の身体ひとつコントロールできずにどうやって生きるのか?ならばー

身体と接する力を出そう!

それで気づけた。自分の身体はただ生かされているものであることに。動かされる身体がある。身体は動かされる力を得て動いているが、その力は自分がつくるものではなく、外からの熱のようなものである。その熱を使えば身体の不調を癒すことができる。その原理が瞬時にわかったのだ。

そこで私は身体を心から切り離して、発熱する不調部分を癒す力を使おうとした。ヨガの呼吸法「不調な部分に息を入れていく」を試みると、熱が降下していった。このことから、人間の肉体や心という身体は、造形主が作った造形物に過ぎず、私は動かされる器であることを実感できた。動かす力こそ神の愛であり知恵なのだろう。

熱が癒えてから思い出したのが、キリスト教のお話を描いた絵本『たいせつなきみ』。その中でエリーという造形物の主が人間(人形)をせっせと作り、魂を吹き込み、壊れたり落ち込んだら直してやる。その意味がわかった。私たちはただ動かされているのだ。

動かされるといっても操られるのとは違う。むしろその力に気づかず、抗ったり、無視したり、無駄な生き方をしていることに気づかない。だから生きづらくなる。

そして31日の未明、今朝のことだが、もうひとつつかんだ。それもまた重要なことだ。

なぜ私は青年時代から今までずっと生きづらかったのか?ひとりぼっちや孤独感で拉がれていたのか?学校でも家でも自分だけの世界にいたのか?恐るべき子供達や反抗する若者になぜ憧れたのか?なぜ長い逃亡の旅に出たのか?なぜ恋することや愛することに失敗し続けたのか?自分探しとは何だったのか?半世紀以上の悩みがその瞬間氷解した。答えがわかったのだ。

それは神の摂理を知らかったからだ。

自我を出そうともがき、自欲に生きようともがいて、他のものを見ないまま生きてきた。神によって吹き込まれた力を感じられなかったのだ。その力を素直に受けいれる器が持てたとき、人は初めて素直に生きることができる。愛と知恵を自分に注ぎ込み、愛と知恵に動かされることができる。光が差し込んできた大晦日。

コメント

タイトルとURLをコピーしました